!makakom!*hatenablog

ブログのようなブログじゃないモノを目指しているつもり。いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

いい話だからシェアする、のがダメな理由を読んでリブログ

はてブだったかで、目にするきっかけになった文章。
タイトルが『日本の自殺 [「デマかもしれないけど、いい話だからシェアする」がダメな理由]』という文章。
「自殺」というワードを入れることで、なんだかショッキングな内容かもしれない、と思わせる。
そこから興味をもった人は読めばいいと思う。

おれが気になったのは次の文章。

Facebookの「いいね」や「シェア」は、誰かが提供する知識、意見、価値観、イデオロギーを、そのまま右から左に流すだけだから、主体的な思考はまったく必要なし。
チープな「感動」で、感情の赴くままに「シェア」して、衆愚自身が無自覚にデマを広げるメディアの一部になっちゃって、自己増殖してるから始末に負えないと思う。
Facebookの「シェア」やTwitterのRTで多くの人に情報をばらまく能力を「メディアリテラシー」だと思っている人は、よく考え直すように。

http://www.higuchi.com/item/663

話をシェアして、ただただ拡散しようとするのを、見ていて辛いなぁ、とはおれも思っていた。
だから、2月11日に、ひとのふりみて我がリツイートみなおし - !makakom!*hatenablogというエントリーを書いたばかりだったので、RTの意味について、また考えたりした。

おれも、TwitterでのRTはいかがなものかと思っているけども、右から左に情報・知識を流す、というのが実は「気持ちいい」コトだという認識は持っている。
聞いた話を伝えるという例でいうならば、
「おれ、こんなの知ってるぜ。おまえ知ってる?」とか。
「いやぁ、いい話を聞いたんだけどさぁ…」とか。
あるいは、たとえば古いけど「いっぱいのかけそば」の伝播とか。
まあ、そうした「ちょっと自慢したい話」や「面白かったこと」を伝えたいのは、人間の心理としては、よくあるあるありすぎる、とは思う。
また、これが、アナログ的な、たとえば口頭で伝えるような場合は、それ相応のスキルが必要だったりするのよね。
たとえば、面白い話を誰かから聞いたとして、それを同じように面白くおかしく、また別の人に伝えられるかというと、そうでもない。
話が下手な人が、面白い話を伝えようとすると、オチを先に言っちゃったり、大事な部分を省略しちゃったり、話のつじつまが合わなくなったりするし。
そもそも、細かいところを覚えてなかったりするし。

けども、それがデジタルだと、こと「伝える」には、楽ちんな媒体だ。
コピー&ペーストすればいいわけだし。
さらにTwitterのRTなら、RTボタンを1クリックするだけで、「コピー&ペースト&発信」までやってくれる。
Facebookはやってないので、よーわからんけど、似たような簡単な仕組みで、話題を共有できるんでしょ)

これで、何かを言った気になる、という気持ちもわかるなぁ。
こうした「ただ単に共有・拡散」する発言って、Twitterや、Facebookでは、嫌がられる行為だけども、場所によっては成り立つと思ってる。
そうした場所として、Tumblrを、おれはイメージする。
あそこは、コピーのコピーのリブログのリブログの、一つの情報が何回でも、何回でも、まわってまわって、ぐるぐるする場所だ。

大事なのは、TwitterTumblrではないし、TumblrTwitterではない、ということ。
なので、TwitterでRTしまくって、煙たがれル人は、自分のやりたいことと、その発表する場所を、選べてないだけだと思う。
そういう趣向な人は、Tumblrにおいでよって思う。

実はおれも、これで失敗したことがある。
RTではなくて、TumblrTwitterの連携をしたときのことである。
TumblrTwitterを連携すると、Tumblrでリブログした情報を、TwitterのTLに流せるのだけど、これでTLをリブログだらけにした。
そうしたら、仲のよい友達からも、Twitterでリムーブされたりして。

おれは、Twitterをそもそもやってなくて、遊び方が分からずにいたので、それを埋めるためにTumblrとの連携を選んだのだけど、それが失敗だった。

RTを連呼する人は、そこまで、何も考えていない。
TwitterでRTを連呼することが、「自分から発信することは無いですよ」「自分の意見は空っぽですよ」「他の人が言ったことの方が、自分の言葉よりも読む価値がありますよ」と、連呼していることに気づいていない。

もしも、どうしても、RTしたいのならば、Twitterではなくて、Tumblrでリブログしよう。
おいでよ、Tumblrたのしいよ。
Tumblrの気持ちよさ=快楽は、TwitterのRTの比ではない、楽しい世界だよ。
おれのはおっぱいばかりリブログしてるけど。

また、Twitterに限らずだけど、何かを読んで、感動したり、何かさらに言いたいことがあるのなら、それを「自分の言葉に置き換えて」言ってみよう。
これは慣れてないと意外に難しい。

自分の言葉に置き換えようと、試行錯誤しているときに、伝えたかったモノの本質をさらに考えるようになるだろう。
その結果として「なんだ、これ、感動したと思ったけど、自分の言葉にしようとしたら、どうでもよい些細なことだったわ」なんて思うかもしれない。
そうすれば、元々RTで流そうと思っていたネタは、誰かに話をシェアするほどの価値はなかったんだろうと、「精査→破棄」できる。

また、逆に、RTしようと思った呟きは140文字と少ない文章だったのに、自分の言葉に置き換えたら、もうとてもとてもそれだけでは語り尽くせなくて、Twitterの文字数が煩わしい!たりない、たりないの、このほとばしるパトスは!!!って話が膨らむかもしれない。
そうしたらTwitterでツイートするよりも、ブログで書いちゃった方が、すっきりするかもしれない。

大事なのは、(1)一度自分を通して濾過する(2)発表する場所を選ぶ、だと思うわけ。
単純にRTスルより、もっと楽しいネットの使い方をしよう。