!makakom!*hatenablog

ブログのようなブログじゃないモノを目指しているつもり。いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

Twitterにみる通院ナカマという意識

おれは、痛風をやっているんだけど、そのため、ときどき病院へ行かなくてはならない。
そうしたことをTwitterでたまにつぶやくわけだけど。
そのときに、同じように「通院」している人のつぶやきに目が行く。

ああ、この人も通院してるんだ。
風邪かしら。
インフルエンザかしら。
おれのように、痛風…ってことはないか。
もしかしたら、うつ病かしら?

などと、「通院」に関するつぶやきから、その人のことを、想像・妄想したりする。
たいていの場合、どういう治療をされた、という内容をつぶやく人はいない。
「通院」と、病院からの「帰宅」の、2セットのつぶやきをみるくらいで。

きっと、おれが「病気」をしていなければ、完全にスルーしていた内容かもしれない。
なんていうか「病気」に限らずなんだけど、自分と似た境遇にある人に対して、勝手にナカマ意識わく。

こうしたことには「ナカマ意識」はわくけども、逆に「拒否意識」がわくこともある。
一つは、あきらかに病院内から、つぶやいてるだろう、とき。
もう一つは、自殺願望をつぶやくひと。
この二点は、おれは、正直「うわぁ」って思ってしまう。

病院内では、ケータイの電源を切ることが基本である。
が、この基本ができてない、と思われるつぶやきも、また多い。
実際に、おれが、病院の待合室の中でも、ケータイに電話がかかってきて話出す人がいるんだから。
これは、もう、「通院ナカマでも何でもない」って。
病院内では、それこそペースメーカーを使ってる人だっているし、電磁波による機械の誤作動だって、全くゼロではないから。
だから、電源は切るべきなのだ。
おれは、こういう携帯電話の使い方というか、マナーを、小学校のときに教えておくべきだと思ってる。
身近な便利なものだからこそ、知っておかないと、あぶないことは、教えるべきだ、と。

もう一つの「自殺願望」については、これは「うつ病」の症状の一つだから、そうしたつぶやきが漏れてしまうのは仕方ないのかもしれない。
むしろ、見たくないなら、おれが購読を解除するべきなんだろう。
けど、普段は、本当に、何でもない、ふつうのつぶやきをしてる人だったりすると、簡単に購読を切ることができなかったりして…。
難しい。
先日は、実際に、自傷行為をして、血を流している部位を写メしてあげてる人がいたりして。
むむむー、なんでじゃー、と思ったりした。

こういうのは「理解の範囲」を超えている。
写メして、痛々しいところを見せて、他人を不快にさせたいのだろうか。
それとも、痛々しいところを見た人から、「大丈夫ですか?」と慰めて(気にして)ほしいのだろうか?
もしくは、全く自覚症状がなくて、傷をつける→写メをのせる、まで無意識にしてしまうものなんだろうか?
また、そうした場面を見たらどうするのが、一番ただしいのだろうか。
見て見ぬふりなのか。
写メをサーバから消すように忠告するのか。
サーバー会社にグロ画像があると密告するのか。
そっと購読を解除するのか。
それとも、相手を気にする(ようなフリをする)べきなのか。
通報するべきなのか。
病気だから…と、分かったようなフリをするべきなのか。
よくわからない。
むずかしい。

おれは、傷みせられても、そこから「通院ナカマの意識」は、なかなか生まれない。
けども、うつ病で病院に通っているという、つぶやきに関しては「通院ナカマの意識」は、わいたりする。
この違いは、自分でも、よーわからん、ごっちゃになっているところ。

あなたは、なかま。
あなたは、なかまじゃない。
なんて、区別はしない方にこしたことはないし、する方が子供なんだろうけども。

でも、ここであげた「おれとは違う」と感じるつぶやきにも、「分かる分かる」とうなずく人たちはいる。
同じように、病院の中からつぶやく人たちは「病院で待っている最中ヒマー」という気持ちを共有するかもしれないし。
また、自傷行為をしている人に対して、「自分もよくやるよ」と同じような傷の写メをあげるかもしれないし。
どこまで行っても、「ナカマ意識」があるように、思う。

乱暴な話で、すべて、ひっくるめて「病気」でくくるとすると、自分と同じような「病気」の人はいるし、同じ「悩み」の人もいるし、同じ「共感」の人もいる。
どこまで行っても共感できる存在はいるんだろうし。
どこまで特殊な「病気」だったとしても、世界中に自分たった一人だけがかかるなんて病気はないし。
病気を治していくためには「同じ病気のナカマ」がいる、と感じることが、ささえになったりするだろう。
そういう「ナカマ意識」も大事だろう。
そうしたものが、Twitterのつぶやきから、ちらちら見えたりスルんだ。
自分が「病気」な人は、それを感じてたりスルんだ。