!makakom!*hatenablog

ブログのようなブログじゃないモノを目指しているつもり。いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

はてなOneは外部サービスとつながらなくていい

SNSみたいなのが、各社からにょきにょき立ち上がるのはいいと思うんだよ。
でもさ、なんでもかんでも、「既存のサービスに相乗り」しようとすんなよ。
その姿勢って、自分たちのサービスに自信がないことの裏返しなんじゃないの?

コミュニティは、一つだけじゃなくていいんだよ。
たとえば、twitterで築いたコミュニティがあるよね。
これは、twitterで完結していてもぜんぜんおkなのよ。
それを、A社のサービスでも、B社のサービスでも、あっちでもこっちでもtwitterと連携させよう、ってするのが間違いだ。

Q:なぜか?
A:複数のサービスがあっても、実際につながってる人たちが同じになるから。

仮に、twitterでつながった人どうしが、サービスAでも、サービスBでもつながるとするでしょ。
でも、同じ人どうしとつながるなら、わざわざ複数のサービスを使い分ける意味がないんだよ。
ユーザからしてみたら、じゃあ、結局、twitterだけやってればいいじゃんってなるんだよ。
最終的に、サービスAもサービスBも過疎過疎だ。
それが分かってない。

また、Facebookとの連携機能も、その最たるモンだわ。
そんな連携なんていらないのよ。
Facebookで構築した人脈だったりコミュニティは、違うサービスでは必要ないんだ。
というか、そういうのは弊害というか、新サービスでは逆にコミュニケーションの障害になるかもしれない。
そう、新しい出会いを求めるために、新しいサービスを探してまわる人たちにとってはね。

新しいサービスで、新しい出会いを求めるのならば、既存のサービスとの連携は極力しない方がいい。
せっかく新しいサービスを利用するなら、提供側も利用者側も、ゼロからというか、イチからはじめようよ。
イチからはじめるって意味がこめられてるなら、「はてなOne」というネーミングセンスも、評価できるんだけどな。
Facebookを投げ捨てて、Twitterも捨て去って、はてなOneでイチから人間関係を作ってみたっていいじゃない!

手でする料理が汚いって、ドユコト?

ニコニコ動画で、料理をつくる動画をみてたんだけどもね。
そこで、料理するのに、手を使ってつくるワケだよね。
もちろん。
料理するのに手つかわないと、できないもんね。
でも、まぁ、コメントで「手を使うの汚い」とか「手つかいすぎ」とか「きたない」とか。
そんなコメントが多いんだわ。

∑(゚Д゚)びっくりだわ

どうやって料理作ってるとおもってんだろ?
ていうか、料理作ったことないのか?
てか、「手料理」って、さいこうのもてなし方の一つだろうと思うんだが。

もちろん、その人の動画で出てくる「手」は全然きたなくも何とも見えないし。
料理する前には手洗ってるだろうし(当然)。
動画の最中にも、たまご割ったりすると、手をちょいちょい洗ってるし。
おれには、まるで問題無い作り方に見えるんだが、手に対する拒否感がコメントからにじむのよ。
ちょっと信じらんなかった。

ぶっちゃけ、手が汚いって、教育のたまものかもしんないね。
親から、「手きたない」とか「汚い手で触って」とか怒られ続けてきたのかもな、と。
潔癖症っていうか、強迫観念っていうか、そういうの植え付けられてる気がする。

まあ、ニコニコ動画なんで、どういう人がコメントしてるのかは実態はわからなんけども。
「手が汚い」ってコメントする人たちの、年齢や性別や、あと地域なんかが分かったら、面白いかもなぁ。
普段、どういう料理を食べてるのか、手料理を食べてこなかった、もしくはレトルトで育ったのか?とか。

たとえ話の話

「たとえ話」をするのが、わりと好き。
普通の説明したのとは、べつに、違うモノにたとえて話すのが好き。
これは何に似てるのかなぁって思って、説明している最中に、違うものに脳内変換されて出る感じ。
わりと自然にやってる。

が、それって、「たとえ話」をするってことは、他人を意識していることなんだよね。
おれが、昨日、ここで書いた話も、たとえを出していたけど、それって、結局は読者を意識しているってことか。
読者を意識しないで書ける場所がここって思ったけど、やっぱり読者を意識してんのか。
ふしぎ。

知らない番号からケータイに電話がかかってきた

コマンド?>
(1)とりあえず電話にでる
(2)とりあえず電話にでない

→(2)とりあえず電話にでない

用件があるなら、留守電に入れるだろうし、
それも無いってことは無視して構わないだろうと

おれのケータイに電話なんて、普段かかってこないから

絵を描くことと文を書くこと

これは、おなじ脳を使うわけではない。
絵を描くときに動く脳と、文を書くときに動く脳とは別である。

が、どちらも両方をやるのは、脳が疲れるっぽくて、どちらか一方しかあんまりできない。
今は、絵を描く熱があがっているので、文章を書く熱が下がっている。
バランスなんで、仕方ない。

日向と日陰にすむ世界とLINEと

日向にすむ生物は、日向にいるのが心地よい。

日陰にすむ生物は、日陰にいるのが心地よい。

日向と日陰どちらが「よい」という絶対的な価値ではなくて、
どちらが「自分にとってよりよい」か、という相対的な価値だけ。

話は変わって。
アプリケーションソフトウェアにも、
「日向」か「日陰」か、というイメージがある。

LINEは、どちらかいうと、「日向なソフト」な感じ。
「日向にすむ人びと」が使う感じ。
日陰にすむ人の「ソフト」が何か思いつかないけど。

おれの中にも、二面性は常時あって、「日向」と「日陰」とがある。
いま、どうも、「日陰」側が多い気がする。

「日向」の記事を読むのは好きだし、「日向」の絵も見るのが好き。
けど、「日向」のLINEを使う気持ちは、今のところない。

「日陰にすむ人」が、「日向のLINE」を使うと、日焼けをとおりこして、ヤケドしそうなんだよね。