!makakom!*hatenablog

ブログのようなブログじゃないモノを目指しているつもり。いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

はてなOneは外部サービスとつながらなくていい

SNSみたいなのが、各社からにょきにょき立ち上がるのはいいと思うんだよ。
でもさ、なんでもかんでも、「既存のサービスに相乗り」しようとすんなよ。
その姿勢って、自分たちのサービスに自信がないことの裏返しなんじゃないの?

コミュニティは、一つだけじゃなくていいんだよ。
たとえば、twitterで築いたコミュニティがあるよね。
これは、twitterで完結していてもぜんぜんおkなのよ。
それを、A社のサービスでも、B社のサービスでも、あっちでもこっちでもtwitterと連携させよう、ってするのが間違いだ。

Q:なぜか?
A:複数のサービスがあっても、実際につながってる人たちが同じになるから。

仮に、twitterでつながった人どうしが、サービスAでも、サービスBでもつながるとするでしょ。
でも、同じ人どうしとつながるなら、わざわざ複数のサービスを使い分ける意味がないんだよ。
ユーザからしてみたら、じゃあ、結局、twitterだけやってればいいじゃんってなるんだよ。
最終的に、サービスAもサービスBも過疎過疎だ。
それが分かってない。

また、Facebookとの連携機能も、その最たるモンだわ。
そんな連携なんていらないのよ。
Facebookで構築した人脈だったりコミュニティは、違うサービスでは必要ないんだ。
というか、そういうのは弊害というか、新サービスでは逆にコミュニケーションの障害になるかもしれない。
そう、新しい出会いを求めるために、新しいサービスを探してまわる人たちにとってはね。

新しいサービスで、新しい出会いを求めるのならば、既存のサービスとの連携は極力しない方がいい。
せっかく新しいサービスを利用するなら、提供側も利用者側も、ゼロからというか、イチからはじめようよ。
イチからはじめるって意味がこめられてるなら、「はてなOne」というネーミングセンスも、評価できるんだけどな。
Facebookを投げ捨てて、Twitterも捨て去って、はてなOneでイチから人間関係を作ってみたっていいじゃない!

ブログに書くネタがないと感じたことがない

ツイッター経由で知った、[う]ブログネタがないと感じるのは、ネタを直接記事にしようとするからという記事が、面白かった。

まず、おれは「ブログに書くネタがないなぁ」と思ったことがあまりない。
たいていは、適当な文章だけども、「何か書きたいな」と思ってから、ブログを書き始めている。

  • ブログを書かなくてはならないから、ネタをさがしてでも書かなくては!というのではなく。
  • ブログに書きたいと思ったコトがあったから、ブログを書いている、みたいなスタンスかな。

先に紹介した記事では、ブログのネタを探す方法として、

1つの事象について記事にしたらもうネタ切れ…ということではなく、「考える」ことで新たな視点で記事を書ける、ということを書き連ねてみました。

http://www.uka-blog.com/web/management/entry_001388.php

とまとめている。

(まえに自分が取り上げた)1つの事象でも、視点を見直したり、切り口を変えれば、他の記事として書ける。
そうやって、ネタを利用しよう、という話。

たとえるなら、「豚の挽肉」を手に入れたら、ハンバーグとして一品料理にするんじゃなくて、ジャガイモとまぜてコロッケにするなり、ピーマンの肉詰めにしたり、「調理の仕方を変えれば、レシピは増える」みたいな感じかな。
同じ素材でも、味付けを変えよう、という話に受け取った。
なるほど、一理ある。
でも、ネタにつまったら、いまある素材から料理をしないで、新しい素材を探す、という選択もアリだ。

それをブログでやる場合は、「他の人のブログを参考にする」という方法は、かなりアリだと思っている。
たとえば、他人の文章を読んで、「この記事に書かれていることに加えて、おれならこう考える」みたいなのをプラスすれば、新しい記事が書けるんだよね。

森羅万象、まったくもって、新たな記事を生み出すのは、かなり不可能に近い。
誰かが語ったことを、同じようにして語ることは、行けないことではない。
もちろん、まるパクリで、コピー&ペーストだったら、怒られるけども…。

誰かの記事を読んで、自分も記事を書きたくなる、というのは、とても「正常な反応」だと思う。
そうやって、一つのブログの記事から、他の人を巻き込みながら、ブログのネタが増えていく、というのは「アリだった」。
うん、アリだったのよね。
「だった」と過去形なのは、それって、本当は『トラックバック』が、大きい役割を担うはずだったモノだから。

ここで、さっきの記事にもどって見てみると…

f:id:imakakomi:20120301163758j:plain

http://www.uka-blog.com/web/management/entry_001388.php

ほら、みてこれ。
トラックバック」の欄は、ないんだよね。
ブログなのに、もう、いまや「トラックバック」は実装されてないんだよ。
まあ、かくいう、おれが使っているはてなブログにも、「トラックバック」は、実装されてない。

はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。

http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109

こんな感じに、トラックバックは「不要」という、中の人の判断もあるようなんで。
まあ、トラックバックは、スパムとの戦いに敗れ去ったツールという哀しい過去の遺産なのかもしれないね。

でも、ブログのネタの提供と、再利用と、については、この「トラックバック」は、完全に無くなるのは、少し寂しいかもしんない。

ハイテク技術と占術と魔術

Akinatorってあるじゃない?
ランプの魔人があなたの心を見通しますっていう、あのアレ。
多くの人が質問して、回答して、その傾向から、相手の思っていることを当てるっていうアレ。
あれは、ハイテクな技術からできあがっているのだけども。

同じような感じで、もしも、生身の人にズバリと考えてることを当てられたら、結構こわい。

また、Googleの検索でも、わずかなキーワードから、その人が望む(であろう)ことを検索結果として表示するのも、ハイテクな技術のかたまりだったりする。
多くのサンプルから、傾向と(対策?)から、相手がほしいものの答えを出す。

これも、もしも、同じような感じで、生身の人に、わずかなキーワードから、考えてることを当てられたら、こわい。

占いって、このような「技術」のかたまりから出来てる部分もあるんじゃないかしら?と思ったりした。
少ないキーワードから、相手の「悩みの方向性」を推測し、また新たな質問をする。
そうやって、どんどん、絞り込んでいって、「その人の悩みから欲する答え(に近いもの)」を提供する。

『純粋な人を見抜く技術』だとしても、状況によっては「超能力持ってる人だ!」って信じてしまうかもしれないなぁ、と。

何でもそうかもだけど、自分の持ってる技術を大幅に上回ることを持ってる人の力って、魔術みたいにも見えるなぁ。
ものすごいプログラムに詳しい人とかが、だだだっだーっと作業をする姿なんて、超初心者がみたら、魔法に見えるだろうし。
そうした人を「ウィザード(魔術師)」って呼んだりするし。

でも、そうしたすごい「技術」を持ってる人が、レベルの低い人を騙そうとしたらイカンよ、とも思う。

劇的ビフォーアフターでいつも変だと思うのは

ビフォーのときに、狭い家で、風呂に入るヌードシーンが放映されるところ。
あれ、わざわざ、いるか?

もしくは、あれ、ビフォーアフターの依頼を番組でとりあげるかどうかの重要ファクターとして「住人の全裸入浴シーンの可否」があるとしか思えない。

お風呂が狭いんですよ、っていうのは、わざわざ、ちんぽやケツ丸出しにしなくたって、分かるっていうもの。

どうせなら、おっぱいにしろって!(そういうもんじゃない

追記を最初に書いた方がいい場合とその悪例

GIGAZINEで、無料で商用利用可な1100枚ものロイヤリティフリー画像をMediafire上で配布中っつー記事を見てたんだけどもね。

ページの中ほどにリンクがあります。各リンクごとに画像が100枚ずつあるという感じ。

http://gigazine.net/news/20120224-freestock-rizonesoft/

って書いてあったのよ。

だから、リンク先のページを読みに行ったんだけども、さっぱり、その「中ほどのリンク」とやらが見つからないわけ。
それで、GIGAZINEに戻って記事をよくよく見たら、追記を発見したんだけど、その場所がひどいwwww

2012/02/25 10:52追記
転送量がオーバーしてしまったため、今後はFacebook上での公開を考えている、とのことで一時的に非公開になっています。再公開されるまでしばらくお待ちください。
f:id:imakakomi:20120226105959p:plain

http://gigazine.net/news/20120224-freestock-rizonesoft/

これだけ、超長文の記事で、一番最後まで記事をスクロールしないと、訂正内容が分からないって、ないわぁ。
重要な追記や訂正は、文頭に持ってこないとダメだわぁ。

ひとの振り見て、おれも、直そうと思った。
こういうのは、アクセシビリティが最悪っていうと思った。

Twitterにみる通院ナカマという意識

おれは、痛風をやっているんだけど、そのため、ときどき病院へ行かなくてはならない。
そうしたことをTwitterでたまにつぶやくわけだけど。
そのときに、同じように「通院」している人のつぶやきに目が行く。

ああ、この人も通院してるんだ。
風邪かしら。
インフルエンザかしら。
おれのように、痛風…ってことはないか。
もしかしたら、うつ病かしら?

などと、「通院」に関するつぶやきから、その人のことを、想像・妄想したりする。
たいていの場合、どういう治療をされた、という内容をつぶやく人はいない。
「通院」と、病院からの「帰宅」の、2セットのつぶやきをみるくらいで。

きっと、おれが「病気」をしていなければ、完全にスルーしていた内容かもしれない。
なんていうか「病気」に限らずなんだけど、自分と似た境遇にある人に対して、勝手にナカマ意識わく。

こうしたことには「ナカマ意識」はわくけども、逆に「拒否意識」がわくこともある。
一つは、あきらかに病院内から、つぶやいてるだろう、とき。
もう一つは、自殺願望をつぶやくひと。
この二点は、おれは、正直「うわぁ」って思ってしまう。

病院内では、ケータイの電源を切ることが基本である。
が、この基本ができてない、と思われるつぶやきも、また多い。
実際に、おれが、病院の待合室の中でも、ケータイに電話がかかってきて話出す人がいるんだから。
これは、もう、「通院ナカマでも何でもない」って。
病院内では、それこそペースメーカーを使ってる人だっているし、電磁波による機械の誤作動だって、全くゼロではないから。
だから、電源は切るべきなのだ。
おれは、こういう携帯電話の使い方というか、マナーを、小学校のときに教えておくべきだと思ってる。
身近な便利なものだからこそ、知っておかないと、あぶないことは、教えるべきだ、と。

もう一つの「自殺願望」については、これは「うつ病」の症状の一つだから、そうしたつぶやきが漏れてしまうのは仕方ないのかもしれない。
むしろ、見たくないなら、おれが購読を解除するべきなんだろう。
けど、普段は、本当に、何でもない、ふつうのつぶやきをしてる人だったりすると、簡単に購読を切ることができなかったりして…。
難しい。
先日は、実際に、自傷行為をして、血を流している部位を写メしてあげてる人がいたりして。
むむむー、なんでじゃー、と思ったりした。

こういうのは「理解の範囲」を超えている。
写メして、痛々しいところを見せて、他人を不快にさせたいのだろうか。
それとも、痛々しいところを見た人から、「大丈夫ですか?」と慰めて(気にして)ほしいのだろうか?
もしくは、全く自覚症状がなくて、傷をつける→写メをのせる、まで無意識にしてしまうものなんだろうか?
また、そうした場面を見たらどうするのが、一番ただしいのだろうか。
見て見ぬふりなのか。
写メをサーバから消すように忠告するのか。
サーバー会社にグロ画像があると密告するのか。
そっと購読を解除するのか。
それとも、相手を気にする(ようなフリをする)べきなのか。
通報するべきなのか。
病気だから…と、分かったようなフリをするべきなのか。
よくわからない。
むずかしい。

おれは、傷みせられても、そこから「通院ナカマの意識」は、なかなか生まれない。
けども、うつ病で病院に通っているという、つぶやきに関しては「通院ナカマの意識」は、わいたりする。
この違いは、自分でも、よーわからん、ごっちゃになっているところ。

あなたは、なかま。
あなたは、なかまじゃない。
なんて、区別はしない方にこしたことはないし、する方が子供なんだろうけども。

でも、ここであげた「おれとは違う」と感じるつぶやきにも、「分かる分かる」とうなずく人たちはいる。
同じように、病院の中からつぶやく人たちは「病院で待っている最中ヒマー」という気持ちを共有するかもしれないし。
また、自傷行為をしている人に対して、「自分もよくやるよ」と同じような傷の写メをあげるかもしれないし。
どこまで行っても、「ナカマ意識」があるように、思う。

乱暴な話で、すべて、ひっくるめて「病気」でくくるとすると、自分と同じような「病気」の人はいるし、同じ「悩み」の人もいるし、同じ「共感」の人もいる。
どこまで行っても共感できる存在はいるんだろうし。
どこまで特殊な「病気」だったとしても、世界中に自分たった一人だけがかかるなんて病気はないし。
病気を治していくためには「同じ病気のナカマ」がいる、と感じることが、ささえになったりするだろう。
そういう「ナカマ意識」も大事だろう。
そうしたものが、Twitterのつぶやきから、ちらちら見えたりスルんだ。
自分が「病気」な人は、それを感じてたりスルんだ。