!makakom!*hatenablog

ブログのようなブログじゃないモノを目指しているつもり。いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

絵をみての感想

おれは、絵の中に、作者のたましいが残っている、と思っている。

その絵を見て、何かしら感じるものがあるのは、
その絵を描いた人と、絵を見た人のあいだで、「たましいが共振」した、と思う。

絵が上手か、下手かの話とは全く別次元の話。

絵を見て、たましいがふるえるような体験がするとか、そういうこと。

共振っていうのかな。
似たような振動数をもつものは、振動がより強く伝わっていく、みたいなのかな。

絵の中に含まれる、作家のたましいの振動数が、
絵を見た人の、魂の振動数と近いと、
たましいが共振する、
ような体験するっていうか。

音楽の方が分かりやすいかもしれないけども。
ミュージシャンの奏でる音楽や、声や、ダンスをみて、ファンが感動するのは、それに似ている。

『たましい』、じゃなくて、『オーラ』という方が分かりやすいか?
オタ的に、ONE PIECE的にたとえるなら、『覇気』とか。
もっと、分かりにくいか。

「たましいを見る」のが芸術。
って話。

見るにまつわるアレコレ

1000RTツイートでまわってきて、なるほどって思ったのでメモ。

「お前は見られている」が宗教、
「見られていなくても」が道徳、
「どう見ているか」が哲学、
「見えているものは何か」が科学、
「見えるようにする」のが数学、
「もし見ることが出来たら」が文学。

https://twitter.com/#!/haxigo/status/88230648317349889

↑これがオリジナルみたい(2011年7月5日)。
面白いなw

↓が改変版みたい(2011年7月14日)。

「見えている事にする」のが統計学。
「見られると興奮する」のが変態。

https://twitter.com/#!/shitgazer/status/91403402390683648/

落ちに変態が追加されてる。
最初の部分はおなじなので抜粋では省略した。

おれが追加するとしたら、何かなぁ…。

「過去が見える」のが占い、
「未来が見える」のが占い、
「現在が見える」のが占い。

なんか、『占い』ってこんな感じかしらね。

現在・過去・未来が交錯するのがこの場所。
いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

うまく落ちたな。
いや落ちたか?

はてなOneを言い方変える

はてなワン。
いぬみたい。

はてな湾。
どこにあるんだろう?

はてな王。
クイズ王みたい。

はてな腕。
わりとスゴ腕のマジシャン。

はてな碗。
作者不明のお茶碗。

はてなわん。
なんだかわからないもの。

はてな壱。
老舗な雰囲気。

どれがしっくりくるかしら。

使いやすい食器棚があったとしても…。

使いやすい食器棚があったとしても…。
誰にとっても使いやすいとは限らない。

そろえている食器の種類や大きさが、その食器棚にあうかどうか。
また、その食器棚にどうやって並べるかが、だいじ。

たとえば、使いやすいツールがあったとしても…。
誰にとっても便利に使えるとは限らない。

道具は、それだけでは存在しない。
道具は、使い方による。
どんな道具でも、使う人の存在がないと、意味がない。
使う人の使い方が下手ならば、その道具は使えない。
もっと変な使い方をすれば、その道具は危ないものに。
さらにさらに、もっと危ない使い方をしたならば、その道具で命を奪うかもしれない。

バカとはさみは使いよう。
でも、はさみはバカじゃない。
バカなのは使う人なんだよ、たぶん。

はてなブログのライバルは身内のはてなダイアリー

はてなブログのライバルは、まあ、すべてのブログツールなのかもしれないけども。
少なくても、身内に強力なライバルがいるんで、大変だろうな、と。
はてなダイアリーは、はてなブログにとって、超えなければいけない「壁」だ。

もともとの、はてなダイアリーが、かなり「使える」ツールだと思う。
少なくとも、いまのはてなブログが、はてなダイアリーを超えてるとは、とても思えない。

はてなダイアリーが生まれたのは、日記コンテンツが流行だったときに作られた。
歴史的にみても、ブログが日本にやってきたのは、日記コンテンツのそのあとだ。

はてなダイアリーは、ネットのサービスとしては、かなり「老舗」の部類にはいる。
ぶっちゃけ「枯れたツール」ともいえる。
けれど、「枯れた技術」ということは、それだけ安定していて、かつ「たくさんの人が使ってきた」ともいえる。

一方で、はてなブログは生まれたてのサービスだ。
まだ、どう育っていくのか、さっぱりわからない。
はてなダイアリーが叩き上げのおじさんだとすると、はてなブログは生まれたての子鹿だ。
人間と動物を比較するのは意味がないかもしれないけども…。

叩き上げvs生まれたて、でみると、叩き上げが強そうだ。
が、おじさんvs子鹿でみたら、どうなんだろう?
子鹿は、生まれてすぐに立ち上がって、走りだすことが求められる。
そうしないと、厳しい野生の世界では、生きていけないから。

子鹿のバンビであるはてなブログは、すぐに立ち上がって、スタートダッシュが大事なのかも。
成長するスピードが、はてなダイアリーにくらべて、はてなブログが圧倒していれば…
いつか、はてなブログはてなダイアリーをまさる日が来るかもしれない。

もし、これからブログをはじめてみたい人がいたら…
いまの時点の使いやすさでみたら、はてなダイアリーを選ぶのをすすめる。
ガンガンどんどん進化する様子がユーザに見えるなら、はてなブログをすすめることになるかもしれない。

そんな感想を、メモしておく。
1年後に読み返してみたら、どうなのかしらね。

おしりに挿す『あいさつプラグ』って何?

久しぶりにみたアンタッチャブルの柴田が、『あいさつプラグ』について、話していた。
柴田「いやぁ、おれもヤメってって言ったんだよ。それが急に『あいさつプラグ』を問答無用におしりに挿されちゃってさぁ!」
みたいなコトを、あの半笑いの、ちょっと得意げな表情で話していた。

ところで、おしりに挿す『あいさつプラグ』ってなんすか?
おれは初耳だけど、柴田の表情から察するに、ちょっと普段はしないモノっぽい感じ。
肛門に挿す器具って、何だろうなぁ。
ためしに『あいさつプラグ』で画像検索すると…

f:id:imakakomi:20120223124744p:plain

こんなの出た。
まあ、たしかに『あいさつプラグ』っぽいものではあるw

おれも、実際には見たことなくて、柴田の話っぷりからしか想像できないんだけど、これはさすがにお尻に挿すのはムリあるんじゃ…。

さらに検索してみた。

f:id:imakakomi:20120223125614j:plain

お、おしりのイメージは一致するけど、まさかの「PSP」の文字。
PSPの周辺機器で「あいさつプラグ」があるとなると、ゲームとの連動なのかしら?
なにそれ、やらしい!

他にも、調べてみたけど、イマイチ、これだ!ってのは見つからなかった。
『あいさつプラグ』って、どういうモノなのかしらん?
おれも夢でみただけだから、それが実在するのかさえ、分からないんだよ。

Twitterにみる通院ナカマという意識

おれは、痛風をやっているんだけど、そのため、ときどき病院へ行かなくてはならない。
そうしたことをTwitterでたまにつぶやくわけだけど。
そのときに、同じように「通院」している人のつぶやきに目が行く。

ああ、この人も通院してるんだ。
風邪かしら。
インフルエンザかしら。
おれのように、痛風…ってことはないか。
もしかしたら、うつ病かしら?

などと、「通院」に関するつぶやきから、その人のことを、想像・妄想したりする。
たいていの場合、どういう治療をされた、という内容をつぶやく人はいない。
「通院」と、病院からの「帰宅」の、2セットのつぶやきをみるくらいで。

きっと、おれが「病気」をしていなければ、完全にスルーしていた内容かもしれない。
なんていうか「病気」に限らずなんだけど、自分と似た境遇にある人に対して、勝手にナカマ意識わく。

こうしたことには「ナカマ意識」はわくけども、逆に「拒否意識」がわくこともある。
一つは、あきらかに病院内から、つぶやいてるだろう、とき。
もう一つは、自殺願望をつぶやくひと。
この二点は、おれは、正直「うわぁ」って思ってしまう。

病院内では、ケータイの電源を切ることが基本である。
が、この基本ができてない、と思われるつぶやきも、また多い。
実際に、おれが、病院の待合室の中でも、ケータイに電話がかかってきて話出す人がいるんだから。
これは、もう、「通院ナカマでも何でもない」って。
病院内では、それこそペースメーカーを使ってる人だっているし、電磁波による機械の誤作動だって、全くゼロではないから。
だから、電源は切るべきなのだ。
おれは、こういう携帯電話の使い方というか、マナーを、小学校のときに教えておくべきだと思ってる。
身近な便利なものだからこそ、知っておかないと、あぶないことは、教えるべきだ、と。

もう一つの「自殺願望」については、これは「うつ病」の症状の一つだから、そうしたつぶやきが漏れてしまうのは仕方ないのかもしれない。
むしろ、見たくないなら、おれが購読を解除するべきなんだろう。
けど、普段は、本当に、何でもない、ふつうのつぶやきをしてる人だったりすると、簡単に購読を切ることができなかったりして…。
難しい。
先日は、実際に、自傷行為をして、血を流している部位を写メしてあげてる人がいたりして。
むむむー、なんでじゃー、と思ったりした。

こういうのは「理解の範囲」を超えている。
写メして、痛々しいところを見せて、他人を不快にさせたいのだろうか。
それとも、痛々しいところを見た人から、「大丈夫ですか?」と慰めて(気にして)ほしいのだろうか?
もしくは、全く自覚症状がなくて、傷をつける→写メをのせる、まで無意識にしてしまうものなんだろうか?
また、そうした場面を見たらどうするのが、一番ただしいのだろうか。
見て見ぬふりなのか。
写メをサーバから消すように忠告するのか。
サーバー会社にグロ画像があると密告するのか。
そっと購読を解除するのか。
それとも、相手を気にする(ようなフリをする)べきなのか。
通報するべきなのか。
病気だから…と、分かったようなフリをするべきなのか。
よくわからない。
むずかしい。

おれは、傷みせられても、そこから「通院ナカマの意識」は、なかなか生まれない。
けども、うつ病で病院に通っているという、つぶやきに関しては「通院ナカマの意識」は、わいたりする。
この違いは、自分でも、よーわからん、ごっちゃになっているところ。

あなたは、なかま。
あなたは、なかまじゃない。
なんて、区別はしない方にこしたことはないし、する方が子供なんだろうけども。

でも、ここであげた「おれとは違う」と感じるつぶやきにも、「分かる分かる」とうなずく人たちはいる。
同じように、病院の中からつぶやく人たちは「病院で待っている最中ヒマー」という気持ちを共有するかもしれないし。
また、自傷行為をしている人に対して、「自分もよくやるよ」と同じような傷の写メをあげるかもしれないし。
どこまで行っても、「ナカマ意識」があるように、思う。

乱暴な話で、すべて、ひっくるめて「病気」でくくるとすると、自分と同じような「病気」の人はいるし、同じ「悩み」の人もいるし、同じ「共感」の人もいる。
どこまで行っても共感できる存在はいるんだろうし。
どこまで特殊な「病気」だったとしても、世界中に自分たった一人だけがかかるなんて病気はないし。
病気を治していくためには「同じ病気のナカマ」がいる、と感じることが、ささえになったりするだろう。
そういう「ナカマ意識」も大事だろう。
そうしたものが、Twitterのつぶやきから、ちらちら見えたりスルんだ。
自分が「病気」な人は、それを感じてたりスルんだ。