!makakom!*hatenablog

ブログのようなブログじゃないモノを目指しているつもり。いま・かこ・みらい=imakakomi≠!makakom!

タモリの持ってるデジカメが変わったらしい

ブラタモリでは、タモリの私用のデジカメが出てくるのだけど、そのデジカメが変わったらしい。

今までは、RICOH GRデジタルの初期を使っていたと思われる。
が、今では、OLYMPUS PEN E-P3か、もしくはE-P2らしい。

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http://www.olympus.co.jp/jp/news/2009b/nr091112ep2j.cfm

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http://www.olympus.co.jp/jp/news/2011a/nr110630ep3j.cfm

ぱっと見で、どっちを使ってるのかわかんのかな?
ネックストラップをつける位置が、びみょーに違うといえば違うかも?

デジカメ板のOLYMPUSのPENスレみると、E-P2って書いてある。
ブラタモリの実況スレなんかだと、E-P3って書いてある。
Wikipediaブラタモリの項目みると、たんに、オリンパス PENって書いてある。

正解はどれなんだろうなぁ。

GRデジタルにくらべたら、ちょっぴり大きくなったのかも?

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http://camerasize.com/compare/#155,155

たとえ話の話

「たとえ話」をするのが、わりと好き。
普通の説明したのとは、べつに、違うモノにたとえて話すのが好き。
これは何に似てるのかなぁって思って、説明している最中に、違うものに脳内変換されて出る感じ。
わりと自然にやってる。

が、それって、「たとえ話」をするってことは、他人を意識していることなんだよね。
おれが、昨日、ここで書いた話も、たとえを出していたけど、それって、結局は読者を意識しているってことか。
読者を意識しないで書ける場所がここって思ったけど、やっぱり読者を意識してんのか。
ふしぎ。

ブログに書くネタがないと感じたことがない

ツイッター経由で知った、[う]ブログネタがないと感じるのは、ネタを直接記事にしようとするからという記事が、面白かった。

まず、おれは「ブログに書くネタがないなぁ」と思ったことがあまりない。
たいていは、適当な文章だけども、「何か書きたいな」と思ってから、ブログを書き始めている。

  • ブログを書かなくてはならないから、ネタをさがしてでも書かなくては!というのではなく。
  • ブログに書きたいと思ったコトがあったから、ブログを書いている、みたいなスタンスかな。

先に紹介した記事では、ブログのネタを探す方法として、

1つの事象について記事にしたらもうネタ切れ…ということではなく、「考える」ことで新たな視点で記事を書ける、ということを書き連ねてみました。

http://www.uka-blog.com/web/management/entry_001388.php

とまとめている。

(まえに自分が取り上げた)1つの事象でも、視点を見直したり、切り口を変えれば、他の記事として書ける。
そうやって、ネタを利用しよう、という話。

たとえるなら、「豚の挽肉」を手に入れたら、ハンバーグとして一品料理にするんじゃなくて、ジャガイモとまぜてコロッケにするなり、ピーマンの肉詰めにしたり、「調理の仕方を変えれば、レシピは増える」みたいな感じかな。
同じ素材でも、味付けを変えよう、という話に受け取った。
なるほど、一理ある。
でも、ネタにつまったら、いまある素材から料理をしないで、新しい素材を探す、という選択もアリだ。

それをブログでやる場合は、「他の人のブログを参考にする」という方法は、かなりアリだと思っている。
たとえば、他人の文章を読んで、「この記事に書かれていることに加えて、おれならこう考える」みたいなのをプラスすれば、新しい記事が書けるんだよね。

森羅万象、まったくもって、新たな記事を生み出すのは、かなり不可能に近い。
誰かが語ったことを、同じようにして語ることは、行けないことではない。
もちろん、まるパクリで、コピー&ペーストだったら、怒られるけども…。

誰かの記事を読んで、自分も記事を書きたくなる、というのは、とても「正常な反応」だと思う。
そうやって、一つのブログの記事から、他の人を巻き込みながら、ブログのネタが増えていく、というのは「アリだった」。
うん、アリだったのよね。
「だった」と過去形なのは、それって、本当は『トラックバック』が、大きい役割を担うはずだったモノだから。

ここで、さっきの記事にもどって見てみると…

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http://www.uka-blog.com/web/management/entry_001388.php

ほら、みてこれ。
トラックバック」の欄は、ないんだよね。
ブログなのに、もう、いまや「トラックバック」は実装されてないんだよ。
まあ、かくいう、おれが使っているはてなブログにも、「トラックバック」は、実装されてない。

はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。

http://jkondo.hatenablog.com/entry/2011/11/19/114109

こんな感じに、トラックバックは「不要」という、中の人の判断もあるようなんで。
まあ、トラックバックは、スパムとの戦いに敗れ去ったツールという哀しい過去の遺産なのかもしれないね。

でも、ブログのネタの提供と、再利用と、については、この「トラックバック」は、完全に無くなるのは、少し寂しいかもしんない。

ニセ関西弁に怒る関西人と笑う関東人

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木村カエラXYLISHのCMがある。
あれは、木村カエラという全く関西弁を普段しゃべらないタレントを起用して、あえてニセ関西弁をしゃべらせることを「笑う」CMだと思っていた。

けど、本気で怒っている(ようにみえる)人が、あのニセ関西弁について、解説していた。

木村カエラCMのエセ関西弁が気持ち悪い理由[絵文録ことのは]2012/02/29

少なくとも京阪式アクセントで生まれ育った人間にとって、これは「バカにしとんのか」と生理的嫌悪感を抱かずにはいられないレベルである。中途半端に似せているがゆえに、違うところがあまりにも気持ち悪く、「ほかのガム噛んだらあかんで」と言われてもかえって「キシリッシュだけは金輪際噛んでたまるか、一生噛まんわ」と思ってしまうほどである。

http://www.kotono8.com/2012/02/29accent.html

↑のように、冒頭部分からして、めちゃめちゃ怒ってるw

テレビのCMは、それこそ一日に大量に流れていて、どんどん新しいCMが作られては消えていく運命にある。
そのため、テレビを見ている人に「何らかのひっかかり」を与えようと必死である。
そうして、作ったCMが、あの木村カエラのニセ関西弁である。
関東人のおれは笑ってしまうが、さらっと流して見ていたCMだった。
けども、あのニセ関西弁に対して、めちゃめちゃ怒っている人がいて、ブログに書いて、ことこまかに「どこが変なのかを解説」してくれているのである。
これが、いまはやりのステマでなければ、ブログを書いている人は、無償でわざわざ明治のガム『キシリッシュ』について、貴重な解説をしてくれたワケだ。

完全に、CMを作った人の「勝ち」だと思った。
まんまと、CMの「何らかのひっかかり」である「木村カエラのニセ関西弁」が、視聴者のハートを鷲づかみにした瞬間を見た気がした。

f:id:imakakomi:20120229183817g:plain:leftおれは、関東人なので、関西弁について、何が正しいか間違ってるかについては、よく分からないし、ぶっちゃけ興味がない。
貴重なニセ関西弁に対しての解説文を読んでも、どう発音が違うのか、本当のところは、さっぱり理解できない。

ただ、関西の人でも無い人が、関西弁をしゃべっているのには、違和感を感じたりするくらい。
この、木村カエラ(東京都足立区)のニセ関西弁も「その程度」だったし、以前からニセ関西弁をしゃべる渡辺徹(栃木県小山市生まれ)についても、「その程度」のことだった。
あえて、ブログに書くような内容では無い。

が、ここまで、怒っている人がいるのを見ると、関西人にとっては、「笑い事ではすまされない怒り」なんだろうなぁ、と思ったりはする。
ので、このブログをメモしてみたのだけども。

CM制作者も、見た人の心にちょっとひっかかればいいな、くらいの「トゲ」のつもりで作ったのかもしれない。
まさか、それが、トゲどころか、このように関西人の心を「深くえぐるナイフ」を作ってしまって、まさか人の恨みを買おうとは、思ってなかっただろうなぁ。

今度、おれが関西弁をネタにするときがあるとすれば、CMやテレビじゃなくて、一般の人が、なぜ、ニセ関西弁をしゃべろうとするのか?、ってことかなぁ。
書くかどうかはテンションがあがったら、だけど。

知らない番号からケータイに電話がかかってきた

コマンド?>
(1)とりあえず電話にでる
(2)とりあえず電話にでない

→(2)とりあえず電話にでない

用件があるなら、留守電に入れるだろうし、
それも無いってことは無視して構わないだろうと

おれのケータイに電話なんて、普段かかってこないから

絵を描くことと文を書くこと

これは、おなじ脳を使うわけではない。
絵を描くときに動く脳と、文を書くときに動く脳とは別である。

が、どちらも両方をやるのは、脳が疲れるっぽくて、どちらか一方しかあんまりできない。
今は、絵を描く熱があがっているので、文章を書く熱が下がっている。
バランスなんで、仕方ない。

ハイテク技術と占術と魔術

Akinatorってあるじゃない?
ランプの魔人があなたの心を見通しますっていう、あのアレ。
多くの人が質問して、回答して、その傾向から、相手の思っていることを当てるっていうアレ。
あれは、ハイテクな技術からできあがっているのだけども。

同じような感じで、もしも、生身の人にズバリと考えてることを当てられたら、結構こわい。

また、Googleの検索でも、わずかなキーワードから、その人が望む(であろう)ことを検索結果として表示するのも、ハイテクな技術のかたまりだったりする。
多くのサンプルから、傾向と(対策?)から、相手がほしいものの答えを出す。

これも、もしも、同じような感じで、生身の人に、わずかなキーワードから、考えてることを当てられたら、こわい。

占いって、このような「技術」のかたまりから出来てる部分もあるんじゃないかしら?と思ったりした。
少ないキーワードから、相手の「悩みの方向性」を推測し、また新たな質問をする。
そうやって、どんどん、絞り込んでいって、「その人の悩みから欲する答え(に近いもの)」を提供する。

『純粋な人を見抜く技術』だとしても、状況によっては「超能力持ってる人だ!」って信じてしまうかもしれないなぁ、と。

何でもそうかもだけど、自分の持ってる技術を大幅に上回ることを持ってる人の力って、魔術みたいにも見えるなぁ。
ものすごいプログラムに詳しい人とかが、だだだっだーっと作業をする姿なんて、超初心者がみたら、魔法に見えるだろうし。
そうした人を「ウィザード(魔術師)」って呼んだりするし。

でも、そうしたすごい「技術」を持ってる人が、レベルの低い人を騙そうとしたらイカンよ、とも思う。